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刀 写にっかり青江 肥後國兼裕作 令和七年二月吉日 |
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| 注文する/Order | 特徴:肥後國兼裕(赤松太郎兼裕)は本名を木村馨、昭和36年(1961年)生 本作は特別に注文打ちで造られたにっかり青江写しになります、にっかり青江は南北朝期に備中青江の貞次が作刀したと云われる、名前の由来は、ある武士が夜道を歩いていた際に、にっかり笑う女の幽霊を切り捨てて、翌朝確認をしたら石塔が真っ二つになっていたという伝説による。斬ったとされる武士は、中島修理太夫・九理太夫兄弟、浅野長政の家臣など諸説がある。この武士から柴田勝家に所有が移り、子の柴田勝敏に譲られた。さらに勝敏を討った丹羽長秀から豊臣秀吉に献上され、子の豊臣秀頼から大坂冬の陣の和議の礼として京極忠高に与えられたと考えられる。以後讃岐丸亀藩主である京極家に代々受け継がれ、江戸時代には刀剣極所の本阿弥家の鑑定により無代(値が付けられないほどの極上品)とされた。本作品は本家と同じ刃長で、身幅は広く豪壮な姿を呈している |
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