刀 兼秀(岐阜) 昭和十八年夏 |
|||||||||||||||||||
|
|
||||||||||||||||||
注文する/Order | 特徴:兼秀は本名を中田勇、大正二年(1913)八月二十四日、長野県木曽郡大桑村に生まれた。昭和三年(1928)、大桑村の尋常小学校卒業後は高知県安芸市、十二代川島正秀鍛錬所にて徒弟として八年間の鍛錬技術習得後、同十二年(1937)二月には岐阜県関市に移住し渡辺兼永の門下で日本刀美濃伝の研究に着手、同十二年十月から十五年十月まで日本刀鍛錬塾の塾生長となる。ヒットラー・ムッソリーニ両首相に日本刀を献上、同十六年(1941)に関刀剣株式会社に陸軍指定刀匠として入社後は優秀な鍛錬技術を認められて東條英機総理大臣に軍刀を献上するなど昭和前期を代表する刀匠である。 |