刀 天野河内助藤原秀次(出羽)文久二年四月日 秋田の鍔工と刀工の研究 所載刀 |
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注文する/Order | 特徴:天野河内助藤原秀次は天野河内之助といい、奥州伊達家の旧臣であるという 万延二年、秋田の土崎港本山町で剣道場を開き。のちに秋田の保戸野に移り鍛刀する 子孫は同所に現存する。佐竹藩重臣渋江氏の抱工となるが鍛刀の法は山形で修得するのみで師系は不明である。墓は秋田市八橋の全良寺にある。戊辰の役の頃、秋元正忠、正次らと共に外国製の剣付鉄砲の剣を外してこれに焼き入れして藩務につくしたという。新々刀期の秋田刀工中、技量第一で彫り物を施したものもある、銘は文久二年のものだけが秀次と切る |