刀 備後国龍泉子驍邦作 元治元子甲二月吉日 |
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注文する/Order | 特徴:龍泉子驍邦は、生年は不詳で、天保初期に備後国中平村に生まれ、当時の筆頭老中 阿部正弘公の御用刀鍛冶、竹中邦彦が、初期の国虎銘の時期に、隣村の油木村で作刀中に、弟子入りしたと伝えられ、独立後、中平村の小高い丘の中腹 の湧き水のでる自宅の横で作刀していたと伝えらる、頭の龍泉子とは、この泉のことと思われる。現在は小さな祠があり、地元の信仰がたえない。その後、元治元年に長州征伐の武具生産のため、福山藩お抱え鍛冶となり、その功により、家老より、中平の姓を賜る。驍邦の刀は、米俵の俵の中に土を入れ、試し切りで、両断した 後、銘を入れたと伝えられ、軽く、バランスが良く、棒樋の彫刻を入れ、音鳴りが良く、実用本位の作りこみ。当時より、良く切れると評判が良く、福山藩士に愛用された。 |